テントを語る

カンタンタープ開発者・白石徳宏 今だからこそ、テントを語る。Vol.2 コピー商品しか作れない通販会社には語れないこと

数あるワンタッチタープの中でも、国内販売数量NO.1を記録し続けるカンタンタープ。今から26年前、世界中のアウトドアメーカーのテントが作られる工場で「ものづくり」を学び、日本のアウトドア業界と共に歩んできた(株)ニューテックジャパン代表の白石が、テントの歴史やキャンプ用品の製造現場というものを語りながら、アウトドアを愛する人々にむけて、カンタンタープの誕生までを回想していきたいと思います。

INDEX
1.テントは人の手でつくられる工業製品。
いかにモノづくりのプライドを共有できるかが大切。
2.テントは有史以前からの生活アイテム。
現在のテントのルーツは遊牧民の住居にある。
3.革命的なテントがアメリカで誕生。
アウトドアレジャーのブームによって進化は加速する。
4.カンタンタープ開発のベースとなった、
テント屋・白石徳宏の歩み。

1.テントは人の手でつくられる工業製品。
いかにモノづくりのプライドを共有できるかが大切。

 小さい頃の夢で、テント職人になりたい人なんていたでしょうか。もちろん誰もいないでしょう。この世の中には驚かされるようなニッチな産業がありますが、キャンプやイベントで何気なく使っているテントもニッチ産業そのものです。多くの方々が知らない世界で作られている特殊な産業なのです。

 このテントを作る世界に入ったのが23歳の頃でした。あの頃のテントと言えば、キャビンテントと言われる家型のパイプテントが主流で、ドームテント類は山岳用がほとんどでした。どのタイプも現在のテントよりは形状も構造もシンプルで、味気ないデザインだったと思います。
(もっとも色使いだけは派手でしたが、、笑)

 中国福建省の地方都市厦門、紡績工場ではナイロンなどの化繊生地を作り、市街地に縫製工場が4つ、全工員数は3,000人以上、生地を作る機織り機とミシンの音が怒濤のように鳴り響く、世界一の生産量を誇るテント専門の工場。

「この世の中にはテントだけを作る専門工場が存在している。」

 まず、テントを語る上ではずせないのがテントは布で出来ている縫製品ということです。この縫製品というのは未だに手作りです。いろいろな工業製品がある中で自動化がなかなか進みません。それは機械では出来ない複雑な工程が必要だからです。これからもミシンと人の手によって縫製品は作られていくでしょう。そして、そのような縫製産業は後進国が始められる最初の二次産業でもあります。テントも大昔は国内生産でしたが、戦後の復興を果たし近代化が終わった国内では衰退産業になりました。たちまち国内からなくなると近隣の韓国、台湾へ、さらに、あとを追うように中国へと縫製産業が移動していきます。現在では中国の縫製産業が過渡期を迎え、繰り返すようにベトナム、タイ、さらにミャンマー、バングラデシュと移り始めています。工業製品ですので大量生産が必須であり、人材確保しやすく人件費の安い地域に移り渡っていくのが縫製産業の宿命なのです。

2.テントは有史以前からの生活アイテム。
現在のテントのルーツは遊牧民の住居にある。

 テントを家とすると、布は壁になり、細いフレームは柱となる躯体構造です。さらに移動を目的とするので、持ち運びを考えて収納は小さく、軽量でありながら、野外なので耐雨と耐風などの強度を必要とし、材質的にも劣化に強く耐久性のある素材が条件になります。さらに人が使用するための利便性も求められ、このような諸条件を並べると、家と比較されがちな製品なのに布と細い柱だけで作らなくてはいけないことになるのです。
 そのようなテントの開発を語る上でまずは、テントの歴史を顧みながら、今日に至るまで、どのように発展していったのかを説明します。
 有史以前の頃からテントは使われていたようですが、現代のテントという概念が生まれたのは遊牧民からのようです。その遊牧民の優れた移動式住居は軍事用テントにも応用され、近代的な技術発展をとげたようです。
 例えば遊牧民のテントを紹介すると、柱とロープを使う突き上げ形のテントはアラブやペルシャ、チベットなどで見られ、山羊やヤクの毛糸で布を作って張り上げています。これは現代のタープと同じ構造です。さらにはドーム形状のモンゴルのパオ(ゲル)、円錐形の北米インディアンのティピーなど、既に原型となるテントのデザインが古くから多く存在していました。
 現代のテントも同じように古くからの移動式住居の原型をもとに、時代の背景と共に素材や構造を維新され、今日のテントの基本が示されていくのです。

3.革命的なテントがアメリカで誕生。
アウトドアレジャーのブームによって進化は加速する。

 そして1975年に革命とも言うべき画期的なテントがザ・ノースフェースから誕生しました。アメリカのオーバルインテンションの理論から最小の面積で最大の容積を作りだし、ポールの張力と布の圧縮力を利用して強度を上げるというテントが開発されました。いわゆるドームテントです。
 小型に収納できて、軽量化、そして強度があるという、布とポールを一定の条件のもとで組み合わせると、今までの概念とは違う構造体を作り出しました。
 さらにこのドームテントをジオデシック構造というバックミンスターフラー博士が提唱した技術を使い、過酷な条件でも使用できる探検家やアルピニストが求めていたドームテントが誕生しました。テントというものに驚くべきイノベーションを起こしたのです。しかしながら、この技術は主に山岳用テントにしか使われず、今みたいに多種多様な大型のファミリー用のドームテントの誕生には、まだ、しばらくの時間を要します。
 余談ですが、この時代はケルティが開発したバックパックの革命ともいうべき、アルミのフレームバックが誕生した頃です。アウトドア用品にとって開拓時代を経験しているアメリカの発明には、いつも驚かされます。

 1990年代、日本に本格的なアウトドアブームが到来しました。
このアウトドアブームの牽引は何と言っても四駆のRV車です。四駆の車が持て囃されたのはスキーなどのウィンタースポーツのおかげですが、冬にしか活躍できないので、各車メーカーがPRに目をつけたのが、夏にはオートキャンプという提案でした。車という一大産業のおかげで、日本にオートキャンプという新しいジャンルが出来たのです。
 当初は一言で言うと野暮ったい感じで、インフラも整わず、オートキャンプのスタイルが確立していなかったと感じます。ただ、熱狂的なブームだったのは間違いありません。このブームという大きな原動力によって新しいテントが出現します。当時は学校で使うイベントテントのようなスチールパイプのキャビンテントが主流なのに対し、あのオーバルインテンションの技術を利用した新しい大型ドームテントがいくつも開発されていくことになります。1.小型が主流のドームテントを大型化、2.直線的なポールにアングルを加えて居住性を広く、3.縫製パターンを使った強度アップと技術の向上、4.ジオのようにフレームワークで居住性と強度を両立する幅広いデザインなど、今までにない画期的なドームテントが多種多様な形で市場に。私も多くのアウトドアメーカーのテント開発を行いました。回想していくと、やはり、この当時の大型ドームテントの開発が今のアウトドアのスタイルを作り出した分岐点だったと思われます。
 今日の日本のアウトドアメーカーが、ほとんどこの時期に多種多様なテントやファニチャー、バーナーなどを開発していき、各々のスタイルを確立していきました。コールマンが日本でのブランド認知を大きく広げたのもこの頃です。

4.カンタンタープ開発のベースとなった、
テント屋・白石徳宏の歩み。

 さて、話しを26年前の中国に戻しましょう。
日本のキャンプブーム直前の頃です。まだ韓国や台湾でもテントは作られていましたが、既に初期の二次産業から次のフェーズに移ろうとしていたので、現場ではミシン工員が確保できなく、慢性的な人手不足の上、人件費もあわなくなってきました。そこで、文化大革命などで疲弊していた中国が、隣国同様に工業新興国となるべく、あらゆる軽工業品の生産に挑戦しました。何度も失敗を繰り返しては、試行錯誤で作り上げるという仕事も製品も、なんとも荒っぽく激しい時代でした。
 私は、このような発展途上の時代に中国へ入りテントの開発に加わることになるのですが、右も左もわからない素人の上、中国の文化や言葉も何もわからない若造です。全て初歩から学び、一から経験を積まなければなりません。
 そして、当時は驚くことにテントの企画というものは、山好きのアルピニストや自称アウトドアマンという方が多く、テントの製造について知識のある人は誰もいませんでした。また、製造の方でも職人と呼ばれる韓国人や台湾人は、テントを作ることはプロですが、実際にテントを山などで使用している職人は、ほとんどいなく、足りない部分を互いに協力して「ものづくり」をしていたのです。しかし、これがなかなか上手くいきません。アウトドアマンの現実離れした企画と職人の実質的な意見がぶつかってしまうのです。こうして出来上がる製品といえば、妥協だらけのバランスの悪い製品になりがちです。たぶん、他の仕事でも同じような問題が起こりやすく、苦労されている人がいるのではないでしょうか。

 一方、中国は中国で、先進国と環境が懸け離れ、言葉に責任がなく、時間もルーズで、通常の生産もまともに出来ない有り様です。生産管理や貿易業務まで、何から何までやらなければならないことが、日々、目の前に山積みされていました。途方もない中、嘆いてばかりもいられず、まずは地道に製造現場に通い、縫製の技術や素材の特性を知り、どのように生産されているのか、製造に関わる基礎を学んでいくしかありません。
 そして重要なのは先でも述べたように、テントを作る人はテントを徹底的に使い込んで、その製品の善し悪しを正確に判断できるプロフェッショナルになる必要があると思いました。机上の空論で「ものづくり」が出来る訳もなく、現場での検証からソリューションを引き起こし、はじめて新規開発につながると思われたからです。

 どのような境遇であれ、テントを作るのが自分の職業ですから、いろいろと思いを巡らし、どうせならテント職人としても、アウトドアの趣味人としても、両方の立場で考えられる企画開発者になりたいと思いました。
 製造の方は中国のテント工場にいるので勉強できるにしても、実際にテントを使った経験とはいうとの頃のサマーキャンプとオートバイでのツーリングくらいでしたので、あまりにもテントというものの知識がなく不足していました。そこで、若い勢いもあり、仲間も驚くような面白い計画をたててみようと思いました。
 自分達が作ったテントを使ってバックパッカーのスタイルで世界の名峰に行こうと思ったのです。
 その名峰というのは、中国名はチョモランマ、欧米ではエベレストという世界一の山に行くために。(次回、チベット編に続く)